善悪について
物事における善し悪しとは何だろうか。
すぐに思い浮かぶものと言えば、
窃盗などの犯罪は悪と分類され、
一方でボランティアと言った人助けは
善に分類される。
これら善悪の判断は何に基づくのか。
それは、その行為の受ける社会的評価と時代背景による。
現代社会において、人殺しやカニバリズムは歓迎されるものではなく、
排斥され非難される行為であり、施しや気遣いは良いこととして
評価され、歓迎される。
しかしこれらの間にどれぐらいの違いがあるだろうか。
いずれの行為の核心にも、自己の願望に従ったという事実が共通している。
行為の根源的理由はどれも同じなのである。
犯罪もボランティアも自分がしたいからしただけであって、
行為の瞬間に善悪の概念は差し挟まれない。
行為の価値は後から決まり、行為は純粋な自己の願望によって成就する。
ただ注意して欲しいのは、だからと言ってこの文章で犯罪等を推奨しているわけではない。
哲学は常に常識を疑うものであり、その議論の中で出される例えに過ぎない。
私もひとりの人間として犯罪はあってはならないことだと思うし、そうした行為は行わない。
では、行為がそうした理由によってなされる時、何が善で何が悪となるのか。
社会的、時代的影響を受けない絶対的な善悪は存在するのか。
また、自己の願望に従って行われた行為は、自己中心的と言った理由で悪と評価されるのか。
これらについては次回で考えていきたい。