経験は目的をすり替える
例えばトイレに行くとする。用を足しトイレから出る。
トイレに入る際、そこまで暗いと感じなかった為、電気をつけなかった。
しかし私は、トイレから出るときに電気のスイッチを押した。当然トイレの電気はつく。
ではこの時私は何をしたのか?
何が言いたいかというと、本来電気がついていなければ、
スイッチを押す必要はない。だが私は反射的にスイッチを押した。
ここには既に、本来の行為の目的が消滅しているのではなかろうかということである。
消滅という表現より、すり替えが妥当かもしれない。
何度も同じ経験をすることで、いつしか行為の目的は薄れ、
その行為自体が目的となってしまう。
例で言えば、トイレから出てスイッチを押すことを何度も経験することで、
本来電気を消すことが目的だったものが、その目的は次第に変化し、
スイッチを押すこと自体にすり替わっていったのである。
以上のことからわかるのは、
反復的な行為はいつしかその行為の目的のためには存在しなくなり、独立する。
自己自身が目的と化し、そこに何らかの別の目的が存在しない場合であっても
その反復的行為は果たされるようになるのである。
ここではトイレのスイッチを例に挙げたが、
日常生活にはこうした事柄はたくさん転がっており、
少し視点を変えて物事を観察してみると案外意外な発見が見つかるかもしれない。