空想と脆い現実

 

 

 

 

例えば非現実な絵を見て、我々はこれを現実世界の写実ではなく、

空想の、言うなれば現実世界を基にしたファンタジーだと捉える。

 

しかし、確かにこうした捉え方は間違いではないが、

必ずしも正しいというわけでもない。

というのは、我々が世界を現実か、非現実か判断する時、

その判断は我々の経験則に基づいているからである。

この経験則というのは、未来を見通す超越的な方法でも、

世界の真のあり方を把握する方法でもない。

経験則とはあくまで過去の経験の積み重ねの産物であって、

未来を見通すことや真なる世界を把握する一助になり得ることはない。

過去ある惑星が月以上に大きく見えたことはないし、

夜空が真っ赤になったことはない。

我々はこうしたことを幾重となく経験してきたことによって、

経験則によって常識的な世界を独自に構築し、

それから外れる世界のあり方を非現実的で、

ファンタジーな世界であると認識する。

しかしこれは先述したように、

単に経験則に則って判断されているに過ぎず、

絶対的に正しく、真理な世界ではない。

経験則とは積み重ねでしかなく、

それによって信じられ世界というのは、何らの裏付けも為されていない。

 

最終的にここで何が言いたいかというと、

今見ている、感じている世界は絶対的に正しいということはなく、

過去それ以外があり得ていなかっただけなのである。

世界は絶対性をもって存在するのではなく、消去法的に我々の眼前に屹立しているだけである。